強くなる
管理人が入会した平成4年ごろはまだ武道の色が濃く、塾生は指導員に「挑み」、指導員は一撃の下にこれを一蹴するというような「対気」が主流だったように記憶している。勿論、丁寧に「交流」してくれる人もいたが、そういう指導員は何故か人気が無かった。今と逆である。
必然、当時は武道系の人も多かった。私自身は武道家ではなかったが、やはり西野先生や指導員のように「強くなる」ことに憧れ、「いずれ指導員を飛ばしてやるぞ!」と思い稽古に励んでいた。
当時は、そのように思っていた人は少なくなかったのではないだろうか?
しかし、西野塾も時代と共に変わり、武道色は薄まってしまった。それが物足りなくてやめた人も少なからずいたし、一方で女性やお年寄りの割合が増えたように思う。でも、西野先生は昔から「世の中にはいくらでも強い人がいる。強くたって仕方ない。本当の『強さ』とは、生命力が強いということだ」と喝破しておられた。我々の方が勝手に勘違いをしていて、だんだんと西野先生の意図に沿ってきたということなのかもしれない。
生命力=生命エネルギーは強いほうが良いと思う。但し、これは私の考えだけれども、誰しも自分の「器(うつわ)」というものがあると思う。焦って稽古を積み重ねて、この器以上に「強く」なってしまうと、ろくなことが無いのではないかと痛感している。ただ強ければ幸せになれるというものではなく、バランスが大切なのではないか。
勿論、稽古を通じて「器」を大きくしていくことも可能だと思うが、多分、これには相応の時間がかかる。分かり易い例を挙げると、例えば、初心者で熱心に稽古をしている人で、対気でかなり激しく反応するようになった人はよく怪我をする。生命エネルギーそのものは、稽古をすればするほど強くなるが、恐らく、細胞が入れ替わるのには相応の時間が必要なのではないだろうか。
実際、そういう人は見ていて非常に危なっかしく、こちらがひやひやしてしまう。同じ激しい動きでも、ベテランの人は一本筋が通っていて、全く危なげが無い。自分のことを思い返してみても、稽古歴3〜4年目くらいのときはほぼ毎日のように稽古をしていてエネルギーそのものは急激に強くなっていっている実感があったが、先生と対気をすると青痣だらけになって、一人では満足に歩けなくなってしまうようなこともあった。
だから、初心の人には是非焦らずにマイペースで稽古をして欲しいと思う。勿論、マイペースが「毎日」という人もいるだろうからそれは人それぞれだが、一足飛びに結果を求めても、バランスを欠いてしまいかえっておかしなことになる恐れがあると思う。