親父と西野流呼吸法

次回のサブタイトル予告したとたん筆(タッチペン)が止まってしまいました。もう11月も終わりなごやで12月になりますね。そうすると、もうお正月、てなぐあいにうまくいきますかね。
でも西野塾では正月を迎える前に恒例のビッグイベント忘年会がありますね。西野先生のエネルギーあふれる会場の雰囲気は最高〜〜〜!!!忘年会が近づくと親父の命日が近づいてくるんです。いきさつは後にして、何故親父と西野流呼吸法が……。
実は、親父は優秀な西野流呼吸法の実践者だったんです。70歳から始めて10年続きました。私が西野流呼吸法に出会ったのが平成元年春、その冬の正月に田舎に帰ったとき妹に足芯呼吸を教えたんです。「天遊」です。ちなみに「華輪」は次の正月に教えました。妹は初めから何か来る来るってましたね……。
その頃の妹は生活に追われてわめきちらしてました。目ん玉飛び出して、「そんなこと言ったって〜〜!」てなぐあいに……、よくいうこと聞いたと思いますよ、いま考えると……。だいたい私の教えかたは、いろいろ数を教えるより一つのことをじっくりってタイプなんで、結局、足芯呼吸の天遊だけ教えたんです。で、そばにいた親父に「あんたもやってみよ…!」 てんでさせたんです。いやな顔もせずやりました。
何かを感じるとかはなくても興味を持って……。でもまさか……、やってくれたら……、とは思ったけど続けるとは……。教えた時には何の期待もしなかった、親父には。 だけど、妹には期待しました。
だからあとで電話でいろいろと……、足芯呼吸の天遊だけですよ、西野流呼吸法の基本稽古が礼から始まって、正座呼吸から1時間も続くなんて、一言も言わなかった…。自分はだいたいは知ってましたけど、パーツ、パーツで覚えてただけで、ルーティーンとしてあるとは考えたこともなかった。足芯呼吸「天遊」が西野流呼吸法の総て、みたいな感じで教えたんです。「じいちゃんはどうね……?!」てな調子で親父にかわったら「おい、まさる〜、あれはいいぞ〜!」「えっ、なにがえ〜?」「おまえが言ってったやつさ〜……」、よく聞くとやってるんだ、毎日! こともあろうに、朝だか夜だかわかんないけど毎日のトイレの中で……。便器(田舎でんスタイルは様式なのだ)に腰掛けて足芯呼吸なるものをやると、腹の中身がドドッと落ちるんだそうな。妹に聞くと「じいちゃん、足芯呼吸やってるの見たことあらへんよ……」というわけなんです。自分なりに工夫して?やってたんです。 ――「形にこだわることなかれ」――
次の正月に「華輪」を教えました。後ろに受け止め役をおいて初めて「対気」もしました。腕は硬かったけど、みごとにハジケトビました。そんな親父が病気になったんです、「悪性リンパ腫」です、平成7年でした。10年前に母を癌で亡くしているのでウワァーって感じだったけど、今度は西野流呼吸法があります。妹に言わせました「じいちゃん、あんたは癌なんだから、チャンと呼吸法せなあかんよ」って。
癌にきく!ってものも集まってきました、「EM−X」や「プロポリス」とか……、でも足芯呼吸せんと…。 病院の階段の躍り場で天遊や華輪をやってると妹から報告がありました。結局くたばることなく退院したんですが、看護婦さん達が「丈夫な体やね〜、運のいい人やね〜〜!」って喜んでくれました。お医者と違って看護婦さんはつい本音が出てしまいます。西野流のおかげです、親父も言ってました「呼吸法は一生懸命やったぞ!」って、自慢げに。病気になる前から西野塾の忘年会には妹(塾生)とか近所の仲間達(これも塾生)と一緒に来てました。
年に一度、大阪ロイヤルホテルで大分の連中との顔合わせを楽しみにしてました。先生の気を浴びて足が腫れあがり、帰りの電車では裸足だったこともありました。薬のせいで髪の毛が少なくなっても、翌年には見事に復活「おい、おまえより多いぞ!!」って……、すごい回復力でした。平成8年12月の忘年会でも、皆で会い先生の歌を聞いて、暮れには帰るからと別れたんです。
自分達が大分に帰った翌日、呼吸法稽古が10時に終わり田舎に電話して「じいちゃん、どうしてる?」「盆栽協会の忘年会で一杯やって、ごきげんさんで寝てごさるよ……」。夜中12時スギでした、「じいちゃん、死んでしまった……」姪つこが涙声で電話です。うっそ〜〜? そんなこと……、癌の転移??? あんなに元気になってたのに……?実は、あれから風呂にはいり倒れて湯舟にはまって溺れたんです。救急車で病院に運ばれたけど……。朝一番のJRでも、どういうわけか連絡が悪く着いたのは4時ごろだったです。だから心の準備だけはしっかりできて、顔を見た時に涙も出なかったんです。
が、ふと、気を入れてみたら…? どうだろう?軽い気持ちで、でもここ一番……! 手をかざして、やりました。 そしたら返ってきたんです………!!!エネルギーが、細胞はまだ生きてるんです!! 次の瞬間自分の腹の奥がふるえだした………??あとで聞いたら泣いてたそうです。骨になったのを見たら、表面にうっすらと茶色の痕跡がありました、……病気は完全にきえてたんだ。それに骨はムチャクチャ硬かった、80歳のとは思えないそれはそれはしっかりした骨でした。親父は身をもって西野流呼吸法の偉大さを証明してくれたんです。 だからやめるわけがない!!だから続ける………いつまでも………、、、
[1999年11月26日 23時15分21秒]