西野流が大分にやってきた(外伝)2
〜 大分の仲間達になれなかった人達 パートU 〜
M先生はこえたさんの体育の先生でした。
こえたさんの同級生と結婚し、教職を無事に勤め上げ定年退職の後にアカデミーに現れました。
これからは大好きなBMWのバイクで日本国中を旅行するのが楽しみですと語っていました。
西野流を始めると、たいていの人がそれを続けられなくなる事情が発生するようです。
たとえばぶすぱさんなら大分へ転勤、私の場合はダンスの生徒さんが減って教室の存続が危うくなる。
私たちはそれを試練と思っています。
それを乗り切った人だけが西野流を続けることができるのだと思います。
M先生もその試練に見舞われました。
それは稽古をはじめてそんなに日にちが経過していないときに起きました。
先生の奥さんは名の知れた蕎麦屋さんを手広く経営していました。
それはそれはやり手で、朝昼晩仕事一筋の生活でした。
それがある朝食事に起きてこなかったんです。
見に行ってみるともう冷たくなっていたそうです。
先生は蕎麦の事なんか何にも知りません、もちろんお店の経営なんてとんでもない話です。
子供さんたちも全く畑違いのお仕事に就いていました。
そんなわけで始めはお店をたたもうかと思ったそうですが、従業員もかなりいて、お店は閉めてしまうには惜しいほどお客さんからの支持があったのです。
どうして売りに出さなかったのかは不思議ですね。
結局先生は社長になりました。
当然のことながら西野流の稽古は不可能になりました。
家で自分でするという感覚はまだなかったですね。
お店は社長が変わっても繁盛しました。
うちのこえたさんが街で先生に会ったときに言いました。
「先生、仕事ばかりじゃ身体こわすよ、たまにはうちに来て呼吸法の稽古をしたら……」
「大丈夫、身体は丈夫ですから……、それにジョギングもやってるし……」
私はそれを聞いて、何をそんなに急いでるんだろう?
ジョギングは身体にいちばんよくないのに……。
そんなに走っていく程の所なんてどこにもないのに……。
そう思っていたのですがしばらくして行き先がわかりました。
新聞に黒枠の訃報が載りました。
行き先は天国だったのです。
先生の教え子のひとりが真似をして走っています。
にしきのあきらです。
Hさん。
この人は典型的な頭人間です。
私たちが西野流を始めた頃に一緒にやろうと誘ったひとりなのです。
結局足芯呼吸のやり方をちょっと覚えただけで、対気で飛ぶって事はなかったですね。
腕もガチッと固めて足腰はしっかり踏ん張って飛ぶまいと(笑)
でも、触れないで飛ぶって事にはすっごい興味があって、それは気持ちの持ちようではないかと……。
M氏の影響が強かったですね。
自分でも気というものを感じたいという願望はめちゃくちゃ強かったです。
どんなものを感じたいのかというと、それは良くわからなかったですね。
“気”を自分の目で確認したい、肌で感じたいといった感じでしょうね。
自分でそれは気だという実感が欲しかったようですが、結局望みを果たすことなく縁がなくなりました。
最近は、感じたいって言う人はいなくなりましたね。
Hさんは何でも頭で作ったイメージに合わせようとしてました。
あれだけ頭を使うと、頑丈な身体も50歳を過ぎたあたりからめっきり老け込みましたね。
ダンスの生徒さんでAさん。
昔うちの教室でダンスを習ってたんだけど、自分が希望することを教えてくれないので他の教室に……。
そこでは卒業するほどのレベルにまでなりました。
ある日電話がかかり、また教えて欲しいと言って来ました。
普通だったら出戻りは断るのですが、彼女は気さくな性格でそれまでにも会話を交わしていたのでお金さえ持ってくるならいいよって答えました。
彼女はうちに戻って愕然としました。
今まで習ってたことはなんだったんだ……?
県内ならどんな人でもうちに来るとそう思いますね(笑)
ちなみに大分でのダンスのレベルをダンスのページにアップしてあります。
ダンスだけの練習では間に合いそうもないので、呼吸法をすすめました。
仕事のせいで腱鞘炎にもなっていたから、その治療もかねてのオススメでした。
わりと熱心に稽古をしたから腱鞘炎の腕も治りました。
ダンスも私の言うことがわかる身体になってきました。
仕事も順調にいって、子供たちも結婚して孫もできました。
彼女の旦那さんは10数年前に病気で亡くなっていました。
それ以後彼女は女手ひとつでよくやってきた見本でした。
その彼女に好きな人ができたんです。
で、結婚しました。
住まいも少し離れたところに移りました。
それ以来、稽古には来ていません。
彼女の仕事は大不況に見舞われましたが、ご主人が別の仕事だから何とか大丈夫でしょう。
女性のお客さん相手のお店の経営者であるNさん。
熱心に稽古をしてました。
反応はまあ、その頃の初心者としては並みのできでした。
でも、稽古は曜日を決めて続けたほうです。
私たちが大阪に行くときに一緒についていって、西野塾にも行きました。
その頃から何か挙動がおかしくなりました。
私の言うことにもどこか素直じゃないんです。
そのうちにやめてしまいました。
後でうちのこえたさんに不満をぶっつけてきました。
西野塾の応対が気に食わなかったようです。
あれがお客さんを迎える態度ですかと……。
要するに彼女はわざわざ遠くから出かけて行ったのに対して、下にもおかぬ丁重なもてなしを期待していたようです。
彼女のお店の世界ではどうもそれが普通らしいのです。
私たちから見たら、西野塾の応対はごく普通でいつもの通りでしたが、彼女には不満だったようです。
それ以後はうちの教室の稽古も気が乗らなくて、懇切丁寧な指導でない私に対しても自然と不満を抱くようになったようです。
見解の相違以前の問題で彼女とは別れたわけですが……。
厄介なのは、私の自宅のごくごく近所に住んでいるということです(笑)
この人は仲間たちになれなかったわけでもないし仲間でもない中間の人です。
お名前はIさん。
県内ではトップクラスの大企業の経理担当の管理職さん。
ダンスのレッスンが主なのですが、その上達には呼吸法がいいということで稽古を始めました。
あるとき、Iさんの顔が晴れません。
浮かない顔付きが気になって訊ねました。
ポツリポツリとIさんが語るには、あと1ヵ月後に会社の監査があるとの事。
実は、このことが明るみにでたら自分のクビは間違いない……、それが気になって……。
なんだぁ、そんなことですか、そんならもっと呼吸法をやんなさい。
問題はどうにかなりますよ……。
そうですかぁ〜? といいながらもIさんは頑張って稽古を続けました。
監査のあと、Iさんはにこやかな顔でアカデミーに現れました。
何の問題にもなりませんでした。
監査人はその一件は見向きもしなかったです……。
そのあとも稽古に励んでいたらと思いますが、元々はダンスのためだったので自然にダンス一本に。
そのうち転勤でこれなくなりました。
Yさん。
この人は、仲間たちの一員なのですが、あまりにも傑作なので……。
私たちが西野流の稽古を始めた頃はなんといっても触れないで飛ぶということが話題でした。
西野先生は手も触れないで人を飛ばす。
私自身もなぜだろうって不思議に思い、その原理を真剣に考えました(笑)
すでにダンスの生徒さんだったYさんは、ある晩いっぱいきこしめしてほろ酔い加減で自宅に現れました。
先生……わしはだまされんぞ……、そんなバカなことあるはずがない……。
先生……ダンスを一生懸命やっちょくれ……。
くどくどと同じことの繰り返しで……、でも心温まる忠告をしてくれました。
それから10年以上の歳月が飛び去った現在、ダンスの前にしっかりと足芯呼吸と対気で飛ばされています(笑)