西野流が大分にやってきた! 番外編 
〜 西野流呼吸法にはまったもう1つのわけ
 


 西野流呼吸法をM氏に教えられてはじめたのが4月、そして1ヶ月もしない夜の10時に生徒さんから電話が入った。
「先生、西野流も凄いけど……。 それに負けないくらい凄いものがありました。 一度お話を聞いてください」
また、何をまたとぼけたことを……。
「何を言ってるんだおまえ、今からここに来るんだったら話を聞いてやるよ……」
彼女は大分にすんでいます、私は別府です、彼女は車をもってません。
普通なら来ません、でも来たんです、運転手付きで。
だから、いちおう話は聞きました。
早く言うとネットワークビジネスです、世間一般ではマルチ商法というやつですね。
よくよくそのプランを聞いているとそんなに悪質ではないようです、そんなに難しくもないようです。
メインの商品も売れないものではありません。
だからやってみることにしました(笑)

 はじめにプランを聞いたときに、この人はほんとによく上手にしゃべるもんだなと感心したのですが、やり始めたらすべて氷解、ちゃ〜んとマニュアルがあったんです。
それを丸写しでしゃべってるだけ……。
誰にでもできるシステムです。
私たちに説明してくれた人は彼女の運転手さんでした、さすがにメンバーになりたての彼女には無理でしたね。
運転手さんは少し先輩の男性でもう何人も勧誘に成功していました。
その彼氏は特別凄くもなく普通よりはちょっとましかなといった感じの人でした。
こいつにできるのなら自分たちはもっと簡単だと思いました。


 

 実際説明をし始めると面白いように成功しました。
 どんどん人数が増えるとエネギーも高まります。
 呼吸法の稽古をやればやるほど効果は現れました。

 だから呼吸法は本当にその時の自分たちにぴったりとはまったわけです。
わかるとかわからないとかなんて問題じゃなかったですね、やればいいんだって感じでしたね。
とにかくそのネットワークビジネスは始まりはものすごく順調でした。

 だけど順調は半年ぐらいでしたね、実際人数が増えすぎて自分たちで直接管理が行き届かなるとグループとしての統制が取れなくなってきました。
パワーの問題なのか、システムの問題なのかは今になってはよくわかりません。
どちらの要素も大きかったのだと思います。
呼吸法の稽古をやればやるだけの効果は実際に十分味わっていましたし、うまくいく事による相乗効果で思わぬパワーが発揮されていたのでしょう。
他のグループが驚異のまなざしでわれわれを見ていました。

 今振り返ると、呼吸法をやっているからうまくいくんだという確信みたいなものに動かされていました。
世の中には信じるだけの力で動いてるものがいっぱいあるなかで、われわれには呼吸法によるエネルギーがプラスの力として後押しするわけだから、信じることの力の何倍ものものがでていたと思います。
だからうまくいかないはずがないと思っていました。

 そのくらい効果をはっきりと認めていたわけだから呼吸法の稽古に手抜きはなかったです。
手に入る文献やビデオを頼りに研究しました。
幸いにしてその年は本やらビデオやらTV出演等がいっぱいあった年でした。
だから、翌年大阪の西野塾に入学したときには基本の動作は全部できていました。
西野塾でもびっくりしたことでしょう、今で言う赤いゴムの人が基本の順番は全部知っていて、その上対気でもそれなりに気が出ていたのですから。
ただし、自分自身では気を出していることはわからなかったです。
おっ、いいぞ……、といわれてもそうかなと思っただけで何がいいかはわからなかったです。
今の自分には当たり前のことですけどね(笑)

 基本の順番ややり方はわかってましたが、指導員のしゃべる言葉のほうは実際に聞いて見ると「気の力」とは微妙に違いがあって……。
又、指導員によっても各々に違いがあったのでそれを覚えるためにできるだけ前のほうに並んで稽古を受けました。
ある程度(自分でせりふを言えるレベル)になったら、大阪では花博が始まって船もめちゃくちゃ混むようになったのでそれから1年ほど間があきました。

 仕事のほうもさらに忙しくなって時間がなくなってきたのも事実です。
このころはプライオリティーの設定が完全に間違っていましたね。
今でこそ何が大事かなんてことは当たり前に判断できますが、始めたころには当然ながら無理な相談でした。

 メンバーが増えるに従ってネットワークの階層が深くなり我々とは関係ないような動きを見せだし、しかも消滅していきました。
エネルギーは小さい範囲にしか作用しなかったです、当たり前のことですが……。
広げたぶんを保持するのって大変なんです。
広げていく時は面白いくらいにうまくいきますが、維持していくエネルギーはいくらあっても足りなかったですね。
そのうちに階層の深いところから来る人達の中には他人の力で金儲けができると思い込んでる人がでてきました。
そうなるとヤバいですね。
そのころからネットワークビジネスのシステムの不備が目に付くようになり熱も冷めてきました。

 西野塾は休んでいたけれど呼吸法の稽古はそれなりに続けていました。

 そのころには西野流そのものの不思議さにも興味をかきたてられてプライオリティーが勝手に呼吸法になっていました。
その間に別のビジネスも半分お付き合いで始め、それもかなり面白い思いもしました。
しかしネットワークビジネス特有のシステムの無理に飽きて熱も冷めたころに東京からぶすぱさんが現れたのです。
本格的な西野流呼吸法の稽古が始まりました。

 病気を治すために始めた稽古と違い、エネルギーの存在を実感しながらそれなりに有効に使ってきたので、呼吸法の稽古そのものは楽しかったです。
 半分はM氏のための稽古でしたが、今思えば残り半分は自分たちのためという実感があったので、ぶすぱさんが大分に現れるまで続いたのだと思います。
ネットワークビジネスもM氏も西野流呼吸法が大分に定着するには必要な条件だったのかも知れませんね。
すべてに感謝です。

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