完結篇

だいぶ、間があいたけど、書くことものうなってしもうて……。取り留めのないことだけども、いちおう完結篇と言うことで。
今まで書いてきたことは、影にM氏という存在がある中での西野流呼吸法の稽古だったわけで、今から思えば、非常に不健康な状態だったようです。形は西野流呼吸法であって、中身はいわゆる「気」に関する事柄がごちゃごちゃに詰め込まれた状態だったんです。
ぶすぱさんが大分のダンスアカデミーに現われたのが、平成7年で、自分たちが西野流呼吸法を曲がりなりにも始めたのが、平成元年。まだぶすぱさんは西野塾の門を叩いていません。それでも、やめずに続いていたのは、奇跡としか言いようがありません。その経過は、わたしのHPの[西野流呼吸法を始めた頃の稽古の覚書]に記してあります。ぶすぱさんが大分の地にたどり着いたところで終わっておりますが……、かってに中断です。この後のことは、どうでもいいんです。
要するに何事もうまくいって、正常な西野流呼吸法の稽古を始めることができたのです。このころから、西野塾へ入会する人も増えて、月に一度の大阪行きは何よりの楽しみになりました。べつに強制したわけでなく、自然にわたしも、わたしもと増えました。
大分から大阪へは大変便利な瀬戸内航路のフェリーがあって、別府からは関西汽船、大分からはダイヤモンドフェリーとあって、どちらも料金はJRよりもはるかに経済的です。それに前の晩に船に乗ってぐっすりと眠って朝、目が覚めると神戸や大阪です。飛行機やJRでは、そうはいきません。朝一番に乗っても西野塾の午前の稽古には参加できない。帰りも、その日にはとても帰れないので一泊はしないと……。
ところが船だと、稽古が終わってから急いで港に急行すると帰りの便に間に合うんです。稽古で満足した身体を十分に休めて目が覚めると、お昼からの仕事には間に合います。ゆとりがありさえすれば、金曜日とか土曜日とかに稽古を始めて、日曜日をしっかり稽古して、翌日の午前中には大分に戻れます。
仲間が増えると、自然に一緒の船で行こうとなります。そうなると行き帰りの船の中は、子供の遠足気分で、当然宴会です。だいたい飲めないのは私くらいのもので、後は皆さんビールは呼吸法よりは達者で、ジョッキや、空き缶の山になりました。
西野塾に行くのは飲み会に参加するようなものでした。ぶすぱさんは、ビールに関する薀蓄はそれはそれは凄いものがあって、それを肴にビールがうまい、とんでもないビール党です。ぶすぱさんのホームページには(ありゃ、これもそうじゃった)おおいたんうまいもんのコーナーがあって、臼杵のフグやら、日出ん城下かれいをほめちょったが、ついでんビールの薀蓄もかたってもろたら、なんぼかよかろうとおもうんじゃけんど?
日曜日の稽古はABCとあって、午前中のクラスAと昼からのクラスBとはあいだが1時間しかないので、天気がよければ、近所の公園でパンでも軽く食べてすぐにBの稽古の準備に戻っていました。先生のいらっしゃる時はほとんどお天気はよかったですね。
問題は昼からのBと夜の稽古のCクラスのあいだです。しっかり2時間あるんです。その時は、塾生は西野塾から外に出ることになっているんです。荷物はあってもいいんですが、本人たちは最低でも1時間は外に出されるんです。お掃除の時間です。
何をするかって、ひとりならともかく、何人かが一緒なら食事ですわな。稽古の後のビールは、飲めない私でもうまいと思います。いつもコップに一杯なら飲んでました。そのまま、1時間して塾に戻り、みんなでわいわいやりながら次の稽古をやり、終わって船まで急ぐのがいつものパターンでした。
その日は、岐阜から妹たちが来てて、Bの稽古を受けてから、我々と軽く食事やらおしゃべりやらをして、そのままさいならと別れたんです。そのときに、お水を入れるコップに一杯だけ、ビールを飲んでしまったんです。
その瞬間、渡すものがあったのを思い出しました。しかもそれは西野塾に置いたままなのです。「帝塚山」の駅にいる妹たちに、ちょっと待つように言って、急いで西野塾まで戻りました。駅と西野塾はほんの目と鼻の先にあるんですが、それでも急ぐとなるとどうします?走りますよね。
わたしも走ったんです。そのころはリウマチの影も形もなかったので、できるだけ全力で走りました。西野塾では走るのは身体によくないと言ってますが、そんなこと言ってられません。努力のかいがあって、わたさなければいけないものは無事に渡せました。
ほんとによかったよかったで、ハッピーでした。稽古場に戻り、無事渡せたことをみんなに報告して、静かにはしてなかったですね。その時、指導員の○○先生がわたしのほうを見て「かわせさん、ちょっと……」と手招きしてるじゃないですか。ふだん指導員の先生とはこんにちはの挨拶はしても、それ以上の会話をしたことなんてありません。一体全体、何事かとあわててそばに行きました。
「かわせさん、お酒をのんでますね?」「えっ、まあ……」「西野塾の規則で、お酒を召し上がった方は、いちおう稽古は遠慮してもらっているのですが……」「まあ飲むなとは言いませんけど……、こちらのほうに苦情があったものですから……」「いちおう、今回の稽古はちょっとひかえていただくということで……」
いやぁ、まいったまいった。
「いや、ほんのちょっとしか……、さっきちょっと走ったものだから……、顔に出ちゃったんですね……、ちょっと外で、醒ましてきます」さっさと外に出て、近所の公園まで行って、やりました。足芯呼吸「天遊」を、真剣にやりました。[西野流が大分にやってきた]の始めの部分に「あの鬼殺しはどこに?」で書いたように、呼吸法で酔いが覚めたことがあったので、その夢よもう一度と。30分はやってましたね、その後、稽古場に戻りました。こそっと初心者のクラスに入って、皆と一緒に基本の稽古をやりました。
その後は、一般の部に合流して、無事に西野先生との対気もできました。後でみんなとそのことでわいわいがやがや、話は途切れることなく続きました。稽古の始まる前の稽古場では、自分のまわりに、いっぱいビール瓶がころがるように横になって高いびきをかいてたのもいたのに……。今となってはそれも楽しい思い出になりました。
先日、受付で西野塾の案内書を見ていたら、酒気帯び運転お断りが載ってました。窓口で、つい尋ねてしまいました。
「あれから、誰かわたしのように酒気帯びでつかまったのはいるかい?」
「後にも先にも、そんなことしたのはあんただけよ!」
「ふ〜ん、小さいコップにたった一杯しか飲んでなかったのに……」
突然後ろから声がかかりました。
「こらこら、それはいけません」
振り向いたら、歯医者さんでした。
ぶすぱさんが大分にいるころが、人数的にはいちばん盛り上ってましたね。
あのころから、西野流は本格的に大分に定着したようです。