息継ぎ
西野流呼吸法では、息継ぎは何回しても良いことになっている。とはいっても、やはり限度はあると思う。一息があまりに短すぎて、吸うべきときなのに半分くらいは吐いているというようなのはやはり息継ぎが多すぎだろう。しかしながら、普段浅い呼吸しかしていない現代人は、往々にしてこのような状況に陥りがちである。かく言う私も、恥ずかしながらつい2,3年前までは少ないときで2,3回(吸うとき、吐くときそれぞれ)は息継ぎをしていたし、吐くときは更に4、5回息継ぎすることもあった。不思議なことに、普通に深呼吸をしている分には吐く息の方が長いのに、足芯呼吸では何故か逆になってしまうのだった。
しかし、これは不思議なことでもなんでもなく、やはり吸うときに身体(特に上体)が緊張しているためだということがだんだんと分かってきた。上体の力が抜けていれば、吸えば吸うほど肺の容積が大きくなって、1息で吸うことはそれほど難しいことではないということが分かってきた。そして、吸い終わったときに充分な息が入っていれば、吐く息も長くなるということは当然のことだ。
だが、一口に「力を抜く」と言っても難しいことだ。「頑張る、力を入れるということは簡単。緩める、力を抜くということが実は難しい」というのは西野先生の金言(私にとって)だが、対気のように相手がいて圧力を受けている状態ならまだしも、自分自身の身体の内部をコントロールするという一見簡単なことが実はもっと難しいということに気づかされた。
相手がいる、というのはむしろ簡単だ。なぜなら、相手は自分を映す鏡なのだから。
昨年から声楽を習い始めたことも、私にとって大きかった。それまでは、息というのは吸えば吸うだけ吐くときのキャパが大きくなると思っていたが、それは全くの間違いであるということが分かった。そんなに欲張って吸う必要など無い。やむを得ず息継ぎをするときでも、横隔膜をホンの少し緩めるだけで良い。たくさん吸うことは力みに繋がる。
足芯呼吸の真髄に、一歩一歩近づいている気がする。それでも、まだまだ先は遠い。やはり、西野流は奥が深い。